『暑さ寒さも彼岸まで』とはいうものの、お盆過ぎてもむちゃくちゃ暑いやんか! と思っていましたが、調べてみると『彼岸』というのはいわゆる春分の日・秋分の日のことで、大体3月と9月の20日あたりのことをいうというのを、たった今知ったイマムラです。
わぁ、彼岸を『お盆』のことと思って今までどっかで、物知りでしょ? て顔して言うたことあると思います。はずかしぇー。
まあこんな書き出しになるくらいにめちゃくちゃ暑い日が続いています。洗濯物がすぐ色あせしそうな暑さ。
洗濯物といえば、この前靴下を干すときに、物干しにかけようとしてちょっと落としてしまったそいつがひらひらとベランダの室外機の後ろに隠れてしまいました。
もちろん拾おう(博多では「ひらおう」と言いますね)として、壁にせまった室外機の設置位置的に、顔を違う方向にそむけて腕だけを室外機の裏に伸ばすことになったのですが、手に触れてつかんで出てきた靴下はさっき落とした奴じゃなったんです。カラッカラに乾いた別のやつでした。
おまえそこにおったんかワレというくらい久しぶりに見た片方の靴下。むりやり壁に顔当てて、裏をのぞいてみてびっくり。他にも3,4つの他の靴下が隠れていました。見ーつけた! 最近靴下がそろわないなぁと思っていたのですが、そういうわけね。(←探してないだけ)
室外機ではなく、SPOONの奥の間(そんなんないけど)に在庫として長く隠れているボディたちをそろそろ表に出してあげようと思います。このジャズマスボディなんかカッコいいですねー。



他と違う一台をこれで作っちゃいましょう☆
Ben Folds - Hiroshima (B B B Benny Hit His Head)
今日の一曲は、"Ben Folds" の『Hiroshima (B B B Benny Hit His Head)』です。
8月の15日は終戦記念日です。
カタカナやローマ字で『ひろしま』ときくと戦争のイメージがすぐに沸くようには過ごしてきましたが、この曲自体は戦争とは全く関係なくて、ベン・フォールズ自身が広島講演のときにステージから落ちて頭から血が出て病院で撮ったレントゲンは広島の記念写真や! と歌っています。(日本語バージョンあり)
最初は『イマジン』のような "反戦ソング" のようなのを紹介しようかとも思ってましたが、ブログ記事の内容がむやみに真面目になりすぎる(↓これから少しマジメな内容になる)のも不本意なので、実は何年も前に紹介したことあったんですが、ちょっと違う切り口のこの曲にしました。

このあつーい時期、世間の小中高大の学生諸君は夏休み真っ最中というわけですが、今『登校日』ってないみたいですね。
僕らのころは必ず休み期間中に3日くらいは学校に出ていく日が決まっていて、まあその日の朝は、おいホントに今日学校の日か? とおそるおそる家を出て、通学路でランドセルしょった人を見かけてようやく一安心、という耳にタコとかイカのできるレベルの "あるある" を体験していましたが、登校日がないとなるともはやこれは僕ら以降の世代には "ないない" ということになるわけですね。
もう一つの耳タコである、『運動会の日には家から体操服で登校』という日も、そういうおそるおそるデーなわけですが、そんなんもなんだかこの時代すでに "ないない" になってそうな気がしますね。
(これを書いてるまさにその日が、息子の学校で親(僕)と担任の先生との面談がある日で、息子の学校に行かねばならず、ものすごく "あるある" してきました。ホントに今日やったかな? ってドキドキしたー)
まあその3日くらいある登校日のうちの1日は、僕ら福岡(九州かな)の小学生は8/9というのが通例でございました。多分その他の地域は8/6だったのではないかと思います。その日にちを聞けば分かる、ヒロシマ・ナガサキの日というわけです。
その日の授業では、平和の尊さであったり戦争の恐ろしさであったりを学ぶ日だったわけで、それを受けて当時のイマムラ少年も、(人並みに)心に残るモヤモヤを持ったり、夏の夜空に空を飛んでる飛行機が怖くなったりしたものでした。
ほんで、30年以上の時が流れた今、自分が『平和や戦争に対して思うこと』というのが以前とは違った認識になってきていることを、自分は感じています。
なんか教わってきたというか知らされて育ってきた日本と戦争の歴史というものの印象を、バリおおざっぱに言いますと、
世界大戦がはじまって
⇒劣勢の末に非人道的武器の原爆を受けて
⇒日本が負けて
⇒そのあと平和憲法が作られて
⇒平和な日本が今あります、世界からも戦争をなくしましょう。
みたいな感じだったように思います。それはおおむね日本は、『被害者』で『今は世界有数の平和主義国』ってイメージでした。
でも、なんかそうじゃない感じが今はものすごくしてるんですよねー。
なーんか堅苦しい内容になっていきそで落ち着かないので、ちょっと砕いて書いていきますが、
スネ夫とジャイアンがけんかする
⇒ジャイアンが圧倒的に勝つ
⇒ジャイアンはボロボロのスネ夫に「もうだれともケンカしない」と約束させる(それを世界に発信する)
⇒ジャイ子をスネ夫の家に嫁がせて家にずっと居させる
⇒骨川家は努力してお金持ちになったけど、基本的にずーっと剛田家にもその『うまみ』が入るシステムになってる
ってのが本当だと思うんですよね。
だれがどの国にあたるかは言うまでもないですね。ジャイ子は駐在している軍隊だと言っておきます(すごい表現ですが)。
ほんでもっと言うと、他のところでケンカがあればジャイアンは顔を出すし、そん時スネ夫は「ケンカしない」と公言してるので、ケンカに行くジャイアンを時々バックでサポートをすることになります(義兄だし)。
スネ夫には結構近所の子をいじめてた過去があったりするんですが、その子らも今は弱めのスネ夫にもジャイ子がいるからケンカは売れません。ジャイ子のいる骨川家に何かあればすぐジャイアンが(文字通り)飛んでくるでしょう。

これは、平和主義なんですかね!?
もっともっと言うならば、
・骨川家にもジャイアンに気に入られようと細工する人間がいたり、
・剛田雑貨店が骨川家の近所に武器を売って不穏にしてたり、
・そもそも骨川家の住人(いっぱいいる)たちに、剛田家との関係をすこし捻じ曲げて教育している、
というような問題もあるのです。
こういうことが、この年齢になってわかってきてからは、なんか『戦争反対』『平和憲法を守れ』とか、ただ単純に思ってた自分がとても思慮浅かったな、という気持ちになりました。言えなくなりました。
そんな単純に主張できるほど簡単なものではないし、正しく現状を知っていないと『まやかしの平和』を守る主張にに鼻水垂らしながら賛同してしまうと感じています。
そういえば『イマジン』で平和を歌ったジョン・レノンに対して「あのひとはたった4人のグループでも自分が仲良くできてなかったじゃないか」というネットの書き込みを見た時は笑いました。たしかに。まあそのくらいむずかしいとよね。
なんでまたこんなこと急に言い出したかというと、まあ自分の脳みその中のいろいろをこのブログに書くにあたってその時その時のフレッシュな気持ちを書いていこうと思ったので、必然的にこの時期(8月中旬)の話題がそうなったということと、実は自分が被爆三世であったことに44歳にもなって気づいたのもあって、という感じです。
自分の母親が長崎出身(戦後生まれ)で、そういえば祖母が被爆手帳を持っていたんですよね。そのことは20歳くらいから知ってたのに、『被爆三世』って言葉を今まで何度も(特にこの時期)聞いてきたのに、自分がそうだという自覚は全くありませんでした。
気付いた今だからそこで使命感に駆られた、とかは全くないんですが、なんというかきっかけの一つになった感じです。
ホントはこういう話題より、ドラえもんとかドカベンの話の方が断然すーっと筆(キー叩き)が進むのですが、まあ年に一回いいかなということで……。
ジャイアンシチューの話がしたい!
今日もブログを読んでいただきありがとうございます!
SPOON
今村

