秋空と新生活のこと

9月になりまして、日本では2学期の始まりですが、海外では新学期というところが多いようです。ヨーロッパサッカーなんかもこの時期から新シーズンが始まってますね。(三苫ガンバレ!)

『女心と秋の空』なんてことわざ(あぁ、このことわざなんかも偉大なるコンプラ様の前では時の流れとともに消えていく運命なんでしょうね)もあるように、空の色の移り変わりもずいぶんとスピードが上がったように思います。湿気が感じられて少し蒸すような日は、特に、空の色が美しくオレンジから赤、そしてそれが青から黒へと移り、それはそれは息をのむような色合いを見せてくれます。

自宅からは西の空がよく見えて、この時間帯の空の表情を眺めるのが僕は結構好きです。

先日友人が我が家にくると言うことで待機しておりました。

そいつは、11:00に来ると言っていたのに、13:30頃に「今起きた」とメールをよこすようなクソッタレ野郎でして、まあでも付き合い長いのでそれも想定内だったりするんですが。

ほんで15:00頃に、オートロックのエントランスではなく、玄関の方のインターホンがピンポンと鳴りましたので「どうやって入ったんやー」と玄関を開けると、赤ちゃんを抱いた見知らぬご夫婦が立ってらっしゃいました。

ご夫婦は少し驚き気味でしたが、上の階に越してきた方が丁寧にご挨拶に来て下さったんですね。開けておきながら自分も(勝手に)驚いてしまって、ランニングシャツに半ズボン片耳イヤホンでラフの極みおやじみたいな感じで出迎えてしまって、慌ててイヤホン外しながら、対応してしまいした。

お菓子もらって恐縮しました。急に開けちゃってごめんなさい、て感じでしたが、こちらのご家族も9月から新生活開始という感じのようです。(友人はそのさらに一時間半後くらいにやってきました……)


夏休みがあける、9月。

特に9/1という日は、心が苦しくなってしまっている若者たちにとっては、1年で1番辛い日とも言えるような統計が出ているようです。

『新生活をエンジョイ!』とか、『Happy! New! Your Style!』みたいなコピー(宣伝の文句)を見かけると、返って陰鬱としてくるという気持ちもとても分かる気がします。ハッピーかどうかげな俺が決めるっちゃけん勝手に決めんな! て僕なんか思っちゃいます。

この"コピー"ってやつは、だいたい「時代の流行にのっておけばあんたたちは食いつくとやろ?」っていう書いた(考えた)やつの意図が見え見えで、おもしろくないんです。なんか商品努力より宣伝努力をして、もっと言うと結局ユーザーをバカにしてないかなっていう気がして、だいたい僕はそれらに腹立ててることが多いんです。

ネットで目にした求人広告にも『新生活! タイパで選ぶあなたの仕事!!』みたいなのがあって、そりゃ『時給』のことやろがい! と一人でつっこみました。

なんかコスパかタイパかボイパか知りませんが何でもかんでもパーパー言いやがって、と顔をしかめておりましたら、ふらっと立ち寄った文具屋では『テスパを上げよう!』みたいなシャーペンとか売ってました。

テスパ! まあテストのことやろね、とは想像つけましたが、「力強い筆圧が自信を持った回答につながる」んですって。いろいろ考えるねえ~。

結局『新生活応援!』にしてもこの『テスパをあげよう!』にしても、需要の喚起をうながす世間の大きな "流れ" なだけで、一人一人にとっては全く根拠のない無責任なことばたちです。響く人(響きたい人)には響けばいいし、響きたくない人も当然いることばたちです。

ただ、こういう "流れ" は『力が強くて声がでかい』んですよね。

その流れが、声の小さな九月にキツイ人たちをすみっこにすみっこに追い込んでいるんやないかとも思ってるんです。

こういう流れに乗る(ことができる)声のでかい人は、クラスの会議でも議長をして発表をして意見を勝手にかわしますが、キツイ人のちいさなつぶやきが聞こえると「手ぇあげて立って発言しろ」とか言うんですね。それができないなら、意見はないものとみなす。

そうなると、人の前で自分の意見を言うことがむずかしいと感じてる人たちは、小さな声どころか一言も発せない状況になる。結果として、声が大きいものの意見だけが通ることになる。

こうやって、力が強くて大きい声の人間は、自分の意見こそが『みんなの意見 ≒ 常識 ≒ 当然 ≒ 正しい』という思いを強くしていく。

これを『民主主義』と呼んで満足してるのだとしたら、民主主義なんて弱者排除の偏った社会しか生み出さないというのが学校の会議レべルからも良くわかります。(『本当の民主主義』とは、そうじゃないと思っています)

「言いたいことがあるなら言えばいい」とか、「学校に行きたくないなら行かなきゃいいだけ」とか、自分がそうできるからって、他の人にも、なんでそうしないのか? って簡単に言ってしまうのは、困難な状況の原因のありかがその人たちの態度(行動)にある、って主張しているように聞こえます。

「いじめられそうな雰囲気しとるもん」とか、「チャリのカギをかけんから盗られるやんろうが」っていうのと、大差のないこと言ってるように感じるんです。

プロ野球チームの監督にも、打たれた若いピッチャーに対して、「キャッチャーの配球を不安に思ったなら首を振れよ!」という人がいましたが、年俸のとても高い大先輩のキャッチャーに若造ピッチャーが首振るなんてなかなかできませんよ。

それができないならプロ野球向かないよ、っていうなら、そんなピッチャーの心理、というよりも、主張できない人間のきもちが分からないなら監督も向いてないよ、って思ってしまいました。

なるべく、気づかずそんなことを言ってしまわないように、言ってしまっていたらそれはあかんかったな、て思えるようになりたいって思っています。


Phantom Planet - Somebody's Baby

今日の一曲は "Phantom Planet" の『Somebody's Baby』です。

元は、巨匠Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)のヒット曲のカバーです。

"巨匠" とか言うておきながらほぼ聴いたことがない方ですが、ロサンゼルス中心に活動されていたとのこと。

このファントムプラネット、日本語のWikipediaは存在しないくらいのグループ(Spotifyのリスナーは86万人なのに!なのですが、ミディアムテンポくらいのGoodメロディな曲を生み出していてナイスです。

ロサンゼルス発の音楽は、他のアメリケン地区とはちょっと違って、速すぎないメロディアスな音楽が多い印象があります。

その名も『ホテル・カリフォルニア』の "Eagles(イーグルス)" や、日本でもよく流行った "Maroon 5" 、僕が大好きポップロックの "Rooney" とかもLA出身バンドです。

さすが日本人街もあるくらいだし、アメリカの中では位置的にもアジアからは渡りやすい西海岸。そういう親しみやすさみたいなものが、音楽にも反映されてるとしたら興味深いことです。


8/31も9/1もただの一日一日、前の夜と次の朝というだけで、ユリウスかグレゴリオか知りませんが、人間が『便宜的』に採用したカレンダー。

大いなる自然は、もちろんシームレスに途切れることなどなく、線を引いた区切りもなく、昼を夕に、夕を夜に、そして夜を朝に、昼に、と流れていくだけです。

その中で人間も含めた生き物たちが "いろいろしながら" 生きているだけです。

なーんかいろいろ書いてしまいましたが、ああいうコピーを見つけたりすると、自分の体験とか近しい人たちのこととかが、頭にやってきて、ぐーるぐるって渦巻いてしまうんです。

僕の "天パ" の頭に渦巻いてしまうんです。

うまく締めました。(どうだか)


今日もブログを読んでくださりありがとうございます!

SPOON 今村